パパ、バイバイ

こんにちは、ヨガベルテンポの齊藤郁恵です。


パパが天国へと旅立った。闘病中ではあったけど、もう少し時間があると思っていた。昭和9年7月3日生まれの86歳、あと2ヶ月で、87歳になるはずだった。少しずつ衰弱していくのを見ていて、病院へ付き添った時に、担当医へ「誕生日は祝えるでしょうか?」と尋ねると、医師は「大丈夫ですよ」と仰っていた。だから、誰しもがこんなに早く逝ってしまうと想像もしていなかった。


私は3姉妹の末っ子で、ずっとずっと両親をパパ・ママと呼んでいる。私が白髪の中年になって、両親がお爺さん・お婆さんになっても変わらなかった。


私が小学3年生になる春に、両親は家を建てた。だけどパパはずっと単身赴任で不在で、月に一度、3−4日帰って来るそんな生活だった。私は子供の頃、パパっ子で帰って来ると嬉しくて嬉しくて仕方がなかったし、家を離れる日は寂しくて、出かけた後のパパの布団の匂いをよく嗅いでいた。そんな子供の頃、私とパパにはルールがあって、玄関で「バイバイ」、私は居間へ急いで移動し、外から見るパパとまた「バイバイ」、そして最後にぐるっと回って、台所の窓から「バイバイ」していた。

日本中、恐らく行ったことのない都道府県はないと言える位、全国各地で仕事をしていた。阪神淡路大震災は淡路島で被災し、早朝に「大丈夫やけ」と家に電話してきた。バングラデシュや台湾でも働いた。


パパの家族は山口の萩の出身で、一家で朝鮮半島に渡り終戦後、萩へ戻って来た。パパ11歳の頃。野球が好きで、大毎(現千葉ロッテ)のショートの選手のファンで、ロッテがすごく弱くても、生涯ずっとロッテ一筋だった。セパ交流戦が始まった最初の年、ロッテが巨人に連勝した時は、上機嫌でスポーツ新聞を買って喜んでいた。まるで昨日のことのように思える。


私達姉妹は、パパから怒られたことが一度もない。誰にでも優しい人だった訳ではないが、娘達には甘かった。料理が上手で、パエリア・ロールキャベツ・シチューにカレー何でも上手に作って、家族に食べさせていた。私が作る料理も好きで、本当に美味しい時は「味が良いね」と言って喜んで食べてくれていた。


3年弱の闘病生活の間、段々と気難しくなり、寝ていることがほとんどで、私は実家に行ってもコミュニケーションをとる努力をしなかったし、一緒にヨガをやってみようかの一言さえかけてあげなかったことを、本当に後悔している。パパは私がやっと見つけた「ヨガセラピスト」としての活動を喜んでくれて、高齢者施設で教室を行った際は、おばあちゃま達の中に入って一緒にやってくれた。私は、まだ心の整理ができず自分のヨガの練習もほとんどやっていないけど、自分の経験と後悔を、今後のレッスンに反映していくことが、パパへの恩返しではないかと思う。


亡くなる日の前日、パパを病院に迎えに行った私は、連日の高齢者達との会話に疲れており、パパとほとんど話をしなかった。ただ、黙って車を運転し家に送り届け、「着替えりよ」と一言かけ、それに「うん」と返答。それが私達父娘の最後の会話。何故、気づいてやれなかったのか、もっと優しい言葉をかけることも出来たのに。私はあの日の自分をずっと責めて今後生きていくのかもしれない。


半年前に二人で京都旅行をした。あの思い出は私だけの大切な大切な宝だ。


5/16に両親のコロナワクチン接種の予約をした。行くのはママひとり。私は5/15に職場に復帰する。頑張ろう、高齢者の皆さんがワクチンを無事接種できるように。きっとパパが「あれは俺の娘じゃ」と誇らしげに言うだろう。


パパ、ありがとう。そして「パパ、バイバイ」。




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